uriuri55のブログ

毎日の仕事や家での出来事、Excelのメモ、Web関連のメモ、おいしかったお店、子育ての喜怒哀楽など、何でも綴っていく場にしようと思っています。

お母さんと私、お母さんが私。

今週のお題「母の日」

母と私は半絶縁状態。

もう3年前に実家を無理やり出てからは、息子のことに関わる必要最低限のメッセージを取り交わす以外のコミュニケーションは取っていない。

これからもそれでいいし、母が死ぬまでそうしていようと思っている。

それは何故か?

母はいわゆる女子だ。
自分の回りに必ず見下す相手が必要なタイプの、女王的女子。

昔からなにかと否定的な言葉を受けて来たものだけど、それに顕著に耐えられなくなったのは離婚のために実家に出戻ってからだ。

何かにつけては息子の前で「お前がおかしい」「お前が悪い」と私をこき下ろし続け、しまいにはそれが幼い息子に伝染し、毎日毎日母からも息子からも否定され続ける日々が続いた。

自分がおかしいのだろうと思ったし、自分が悪いところを直せばいいのだろうと思ったから、努力した。
辛くて涙が止まらなくても、胃の痛みに脂汗が出ても、毎日普通にして過ごして見せた。

でも気づいた。

母が私を認める日なんて来ないのでは?
母は私を悪く言うことで自分の自尊心を守っているのでは?

もういいや、いらないや。
そう思って、絶縁するだのなんだの騒ぐ母をほっぽらかして息子と家を出た。


あれから3年。
息子も引っ越し直後はあれこれとあったが、今はもう私をなじるような真似はしなくなった。

暮らしはギリギリだったが、歯をくいしばって頑張って、派遣入社から正社員になった。

立ち止まって考えてみると、いつも母の顔を伺っていた。母が後ろに立つと怖くて、背筋がぶるりとしたものだ。
それがなくなった今が、一番気持ち安らかに過ごせているし、楽なのだ。
もちろん縁を切ることを決めた寂しさはあるけれど、もうわざわざ否定されに行かなくていいのかと思うと、憑き物が落ちた気持ちにすらなる位ほっとする。

母に不幸になってほしいとは思っていない。育てて貰った恩も、出戻った私たちを受け入れてくれた恩も感じているつもり。
ただ、人と人には程よい距離というのがある。
母と私の間の程よい距離は、生存は知っているけど会うことはないという程度の、相当な遠距離なのだろうというだけだ。

だから母の日に私ができることは何もない。今年も来年もずっと。


こんな親不孝をして、いつか私も息子からもそんな風に縁を切られてしまうのでは?

そうかも。

因果応報と言うからね。いつかそうなるかも。
そうなるにしても、今は私と息子が幸せで暮らせるベストを模索しようじゃないか。
その結果が因果応報なら、受け入れるしかないのだから。

それは20年か30年後の母の日にでも思い返す日が来るのだろう。
そのときに笑っていられるよう、精一杯息子を愛そうと、母の日過ぎちゃったけど母の決意。